特別対談 第1回

第1回 : 道は自ら切り拓く。「無い」とは言わない。

柳川範之氏(東京大学大学院経済学研究科 教授)
× 杉原行洋(当社代表取締役)

柳川範之氏 柳川範之氏
柳川範之氏
1963年生まれ。東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。中学校卒業後、父親の海外転勤に伴い、ブラジルで独学生活を送る。大検を受け、慶応義塾大学経済学部通信教育課程へ入学し、シンガポールで独学生活を送る。大学卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。
最近の主な関心分野は、法と経済学、働き方改革、AI と働き方、フィンテック。 政府の審議会・研究会メンバーとして政策立案にも参加。勉強法や経済学のやさしい解説を積極的に行っている。著書『東大教授が教える独学勉強法』(草思社)、『東大柳川ゼミで経済と人生を学ぶ』(日経ビジネス文庫)、『経済の考え方がわかる本』(岩波ジュニア新書)等がある。

私と柳川先生の出会いは、「金融庁の審議会委員を務めておられる優秀な大学の先生でありながら、とてもユニークな経歴をお持ちの方がいらっしゃる」と、お世話になっている金融機関の経営者の方からご紹介頂いたのがきっかけでした。
柳川先生は多岐にわたる分野において著作を残しておられますが、その中で特に印象に残っているメッセージは、「創意工夫に溢れる自己育成方法(独学)」「自ら道を切り拓いていくベンチャー精神」「多様性を活かした組織づくり」です。これは、当社の掲げるミッション・バリューに近しい内容であり、また当社の評価制度のベースにある哲学とも言えます。
本日は、柳川先生のこれまでのご経験をお伺いする中で、当社の今後の人材教育や発展へのヒントを頂きたくインタビューさせて頂きました。4回シリーズです。

第1回 : 道は自ら切り拓く。「無い」とは言わない。

杉:先生は、中学校卒業後に大検を経て大学の通信教育課程を卒業なさり、しかもその過程はほぼ海外で独学で歩まれたと伺いました。学者としては非常に珍しい経歴ですよね。これはご自身で決められた道ですか?
はい、実は、私はだいぶ経歴が変わってるんですよ。中学は日本の公立を卒業したのですが、その後にブラジルのサンパウロに父の赴任で行きました。現地の学校はすべてポルトガル語だったので、学校に行かずに、独学で勉強しました。船便で、全教科の参考書・教科書を詰め込んで送ったんです。まあ、半分くらいの時間は遊んでいましたけどね(笑)。 ブラジルで独学後、大検という高校卒業の資格試験をとり、シンガポールに行き、慶応の通信教育課程に入りました。
杉:高校生で「独学」をするということに不安はなかったのですか?
「自分ひとりでもなんとかなる」という自信はあったんです。というのも、ブラジルは、自分にとっての初めての海外生活ではなかったので。私は小学校4年生から中学1年生の時にシンガポールの日本人学校にいたのですが、そこは1学年1クラスで、村の小学校のような感じでした。日本の学校のように手取り、足取り丁寧に教えるようなこともなく、当然、塾もなかった。自分で勉強する癖はそのときについた気がします。
ブラジルで独学をした後も、大検を取り、シンガポールで慶応の通信教育課程に入りました。通信なので、赤線が引かれていたり、太字で強調されたりといった日本なら当然の親切な教材はありません。レポートを書かなくてはいけないのに、インターネットもない。当時は、図書館もありませんでした。参考にすべき情報が限定され、教えてくれる人もいない。本屋に行ってわかりやすそうな本を買ってきたりして、自分なりに限られた情報をもとに工夫して勉強していくしかありませんでした。ないことを理由にしても何も始まらないし、逆に工夫次第でどうとでもなるものです。
柳川範之氏
杉:ふつうは「無いからできない」と言い訳しそうなものを、限られたリソースを駆使しながら、創意工夫を重ね自己学習していかれたというのが、素晴らしいですよね。
当時のシンガポールの同級生とは今も会うのですが、このメンタリティは共通しているのかもしれません。僕もそうですが、少し普通とずれている。思考の自由度が違うのかもしれません。

同質性の落とし穴

杉:その思考の自由度、発想の柔軟性ともいえるものは、どのように創られたと思います か?
1つは、当時発展途上国だったシンガポールのベンチャー魂。もう1つは、多様性を持つ国にいたことで得た、新しい価値観に対する柔軟性だと思います。
特に、2つ目の異なる文化や価値観を肌で感じられる環境にいたことは、今の自分の考え方に大きな影響を与えていると思います。矛盾するようですが、この感覚があると、そもそも人同士が簡単にわかり合える、とは思わなくなります。そうなると、簡単にわかり合えないことを前提として、信頼関係を築くことが大事なんだということに気づきます。
当時は小学生ですからそんなことを客観的に考えていたわけではなかったのですが、今から考えてみると、1970年代のシンガポールで肌の色も宗教も言語も違う人たちの中に放り込まれたからこそ、そういう冷静な感覚を持つようになったのかもしれません。
杉:小学生のときにそのような感覚を持てるのは、すごい経験ですね。
そうですね。日本はむしろその逆。同質性の高いメンバーで社会を構成しているというバイアスがあるからこそ、他者との違いに気づくことが難しい。どんな人とでも話せばわかるというのはある種の楽観です。その楽観が共有できているのは日本社会の良さでもありますが、ここから生まれる問題点も非常に多い気がしています。
杉:会社でも、わかってくれる前提で仕事を進めて失敗し、事後的に前提条件や定義・解釈が違ったことに気づくということはよくありますよね。
はい。だからこそ、ただ飲み会で話したり、一緒にいるだけで仲良くなれるという思い込みは、むしろ危うい楽観です。これからは同じ社内でも、別会社に長くいた人や違う企業文化の中で育った人も当然出てくる。だからこそ、違う考え方を持っていることを前提に良い関係を築いていくにはどうしたらいいかを考えていく必要があります。
杉:国や民族や文化が違うと共通理解がない前提で話しますが、日本人同士は「わかったつもり」で話しを進めてしまえる分、陥りがちな「落とし穴」ですよね。
当社には香港人もいれば、勉強会にはチュニジア人、中国人の学生も参加することもあります。彼らがいることで、全員が前提条件や用語の定義を丁寧に説明するので、落とし穴にはまらずに済んでいるかもしれません。
そうですね。
もう1つの議論は、異文化・違う価値・違うバックグラウンドをもった人たちとのコラボレーションによるイノベーション創出の難しさです。

多様だからこそ、共通の目的が必要

杉:落とし穴にはまらないというマイナス回避から、プラスを生むための視点ですね。
先ほど一言だけ勉強会と言いましたが、これは当社が発起人となり「金融、特に運用におけるイノベーションを研究しよう」という趣旨で1年ほど前に立ち上げまして、野を越えた多くの研究者が参加しています。参加者のバックグラウンドは、人の睡眠の研究に始まり、水産資源の数学的推計、アリの群動をモデリングする数理生物学、脳機能の研究などその専門は様々です。その中の一人が「(金融という)異分野で難題を与えられると、これまでの知識では議論をごまかすことができない。だからこそ、全メンバーの本当の知性が試される総合格闘技の場であり、そして議論が楽しい」と言っていました。実際に、金融が専門分野でないからこそ斬新な切り口が生まれつつあります。
実は、御社のように違う国籍や文化を持っている人とうまくやっていくことと、私たちのように違う学問をやっている人とコラボレーションして何かを生み出していくことには、共通の構造があります。「知の統合」を考えたときに、えてして共通している部分があるから手を組めると思うわけですが、実は考えていることやロジック、そもそも目的としているものがまったく違うかもしれない。その違いを認識することが建設的な知の統合のファーストステップだと思います。
もう1つ、大事なのは、共通の方向性です。面白い融合が見いだせる可能性が高い一方で、全く違う背景の人が集まってきて、うまくまとまっていく道を見出すのは難しい。全員がやりたいと思える共通目標を設定できるかどうかは極めて重要だと思います。
杉:勉強会では、明確な共通目標を設定しました。当社は金融事業において、年間に1,000件以上の企業訪問を行うことにより有望な投資先企業を発掘していますが、そのような足を使ったアプローチに対して「最先端の数学、脳科学、IT 技術の知見を用いることで資産運用におけるリターンの更なる向上とその再現性を高める」というものです。
そういう意味では、当社は「新たな金融の道を研究開発するベンチャー企業」でもあるわけです。柳川先生が暮らしていた当時のシンガポールにはベンチャー精神があったということでしたが、その経験は、今どのように活きていますか?
柳川範之氏
当時のシンガポールは国全体でもそうでしたが、現地の日本人社会全体にもベンチャー企業のようなメンタリティがありましたね。自分で切り拓いていくという意識が、親にも子供にもあった。誰かが何かを与えてくれる、という甘えがなくなったし、また、与えられていれば安心と考えることもなくなりましたね。
たとえば具合が悪くなって病院に行くときに、日本だったら先生にお任せで済むのかもしれませんが、あの病院は本当に安心か、言葉が通じない中国人医師が処方してくれたこの漢方薬を飲んでも大丈夫か、とか。なんでも自分たちで考えて、判断していかないと暮らしていけない。
子どもの立場からすれば、塾も何もないので、自分で勉強する癖をつけざるをえなかったんです。何が正しいかもわからないままに手探りで、自己責任で進めていく。まさにベンチャー企業的でしょう?
杉:今すぐうちの社員になって頂きたいくらい自立心の強い小学生ですね(笑)

道は自ら切り拓く

杉:その後に移ったブラジルでのご経験は今のキャリアとどのようにつながっているのですか?
ブラジルでは、また、違った経験がありました。当時はブラジル経済がどん底で、ハイパーインフレーション真っ最中でした。インフレ率が何十パーセントでしたから毎週のようにも値段が上がっていきますし、治安も、経済環境も非常に悪かった。
ブラジルには、日本やシンガポールで経験しなかったような圧倒的な貧富の差があったんです。観光地として栄えるリオデジャネイロのビーチのすぐそばの丘にファヴェーラと呼ばれる貧民街があり、そこから子供達がおりてきて物乞いをしていたりする。すぐ目の前のビーチには、平日の昼間から何をやっているのかわからない裕福な方がいる。この落差はなかなか衝撃的でした。そこで暮らしていく中で、やはり経済は生活の根幹ともいえることを体感しましたね。
杉:その経験から今のご専門である経済に興味を持たれたのですか?
後から振り返れば、その影響は大きかったですね。ブラジルから帰国後に再度シンガポールに行きましたが、完璧に管理が行き届いた国の様相をみて、政策とか経済政策がいかに国民の生活に大きな影響を与えるかを肌身で感じました。
ただ、僕が経済の世界に向かうことを決定づけたのは、日本に帰ってからの、とある経験でした。
実は東京大学の大学院に入る前、東大の学部の授業にこっそり出席していたことがありました。通信教育課程の科目試験を受けるために、日本に一時帰国したときに、伊藤元重先生の授業を拝聴しにもぐりこんだのです。授業が終わったところに説明してくださった後に「どこのゼミの人?」と聞かれ、正直に「東大の学生じゃないんです」と答えました。そうしたら、先生はどこの馬の骨か分からない学生に対して「じゃあ、うちのゼミにいらっしゃい」とおっしゃってくださいました。道は思いがけないところから拓けてくるものだと思います。
杉:今、大学の先生でいらっしゃる柳川先生のキャリアの扉が、たった1つの質問、たった1つの行動で開いたというのは、非常にインパクトのあるお話です。
また、柳川先生からは、多様性に対する温かさと厳しさを感じました。最近では多様性が重要という話はよく耳にします。しかし、多様であるだけでは前提条件を満たしたにすぎず、全員が魅力と感じる共通の方向性や目標を与えられるかどうかは、経営者に与えられた重要なミッションであることを再認識しました。私は、多様性の中にも「日本を好きであること」「何事も第一線で結果を出すという覚悟があること」「最先端の知見を統合し新しいものを生み出すこと」が軸となる、そんなチームを作っていけたらと思います。

第2回「人の教育と評価制度について」へと続きます。